大広告時代

主に広告について思うことを語ります。その他ネット文化的なことなど。

作家性;匿名であってはならないSNS上のクリエイティブ

今はとてもいい時代だと思います。誰でもワンボタンで自分の作品を世の中に送り出せるなんて、本当にいい時代です。
facebookはそういう意味で世界を変えたと思います。左利きのエレン7巻を読んでより一層思いました。
 
 
今回書きたいのは、だからこそ生まれてしまった「匿名的なクリエイティブ」についてです。
 
 
SNSにおいて多い「作品」は間違いなく「絵」です。
「絵」はSNS上で最も成功した同人ビジネスといえるでしょう。いつでも商業出版社の編集が見張っていて、毎日のように商業作家が誕生しています。
大きい本屋では「Twitterでバズった漫画コーナー」があるほどですね。
 
 
何かを生み出す、そういった創造的な行為は総じて芸術活動といって差し支えないと思っています。
 
 
では芸術において欠かせないものはなんでしょうか?
 
 
それは作家性ではないでしょうか。
これはピカソの絵だ、安藤忠雄の建物だ、園子温の映画だ、グルスキーの写真だ……
芸術というのは己の内面を何か形にして表現することですから、当然その内面がおもしろくないとその形どられたものも面白くありません。
内面というといわゆる芸術家っぽい変な性格を想像してしまいそうですが最初からそういうことではないです。単純にその人が何か伝えたいものが作品を通して見えてくれば面白いということです。
 
モノを作る時、最初は凄いと思うものを模倣しろとはよく言います。それはその作家の作家性に受けた感動を、自分も同様にアウトプットしたいということです。
 
 
私はこの作家性が無いとモノを作る意味はないと考えています。
 
 
作家は単に優秀なペンでいて良いわけではないと思っています。
自分の味を出し続けて、確固たるオリジナリティを成立させていかないと面白くありません。
 
 
SNSではこの真逆の「匿名なクリエイティブ」が多いです。
トレンドを取り入れるだけ取り入れて、本質の全く見えてこないクリエイティブ。人目を引くことだけに長けている絵や写真が。
 
なぜこのようなものが生まれるかの理由は簡単で、SNSには「いいね」ボタンがあるからです。もっと簡単に言うと、「承認欲求」の一言で片付けられます。
 
 
 
それこそ今の時代、誰でも作品でお金を得られるようになりました。芸術審美眼がないと言われる日本ですらもじわじわとその波は来ています。
Vtuverへの投げ銭、pixivFANBOX、note、様々な月額コミュニティ……
 
芸術審美眼がないと書きましたが、逆説的にそれが育っていく可能性だってあります。
本来国が学校教育的に義務として教育していくはずが、社会制度的に機会が必然として設けられていくということです。
 
言っておきたいのは、そうした作品で本当にいい作品が埋もれてしまうとかそういうことではありません。むしろ今の時代、発信できない者が敗北なのです。
せっかくいい腕や発信力をもっているのだから、ちっぽけな承認欲求に収まらず、プライドを持ってしっかりした自分の腕にしていけばいい。今はそれが誰でも出来る時代なのですから。