大広告時代

主に広告について思うことを語ります。その他ネット文化的なことなど。

天気の子 感想

『君の名は』は歴史的な名作だったと思う。私の浅い人生の中で、あれ以上の興奮と感動はなかったと言ってもいい。やはりなんといっても巨大クレーターの外周を別次元で走り周り遂に出会うシーンがお気に入りだ。最高に心踊った新海誠作品の新作が公開されるというのだから、これは公開日に見に行かないわけにはいかない。

 

さて『天気の子』感想。以下ネタバレを多少含みます。

 

 

 

まずはやはり描写力の凄さ。

よく考えてみればこの映画は劇中の8割以上は雨が降っている。それでも終わってみれば一番印象に残っているのは、細かい雨の描写(勿論これも大変素晴らしかった)よりも、あの天空世界のような「晴れ」である。綺麗な青空が美しいのだ。「きれいに晴れている空を見てるだけで、なんだか生きててよかったな」とまさに思えるような。

また上映中現実の外ではどうやら夕立が降っていたようで、映画館を出る時なんとも言えぬ空気を味わえたのは幸運だった。「天気とは天の気分」なのだ。

 

 

雨から晴れへの移り変わり、この緩急を手伝った劇伴について。

三浦透子の大抜擢である。歌のみでの参加となったこの女優は無名とまでは決してないようだが、その歌声は無論聞いたこともないような、まさに「晴れを届ける」ような透き通った美しい声。『君の名は』本編「入れ替わってる!?」シーンの『前前前世』の入りには度肝を抜かれたが、今回も期待を裏切らなかった。また「天気女」の能力は局地的・短時間という少し限定的であったことも、その儚さが歌声とマッチしていた。

ちなみに前談によれば、この素晴らしいボーカルを引き当てたオーディションは一年間も続けたという。

 

 

大抜擢といえば、主人公を演じた醍醐虎汰朗、森七菜を始め、キャスティングと演技力についても良く語らなければならない。両名こちらも全くの無名ではないが、このキャリアならではのフレッシュな勢いを感じた。青さにおいてわざとらしさが全く無い。そして小栗旬や有名声優たちの脇の固め方が非常に上手い。それこそ特に長編単発アニメ映画でよく見かける構図ではあるが、それぞれがここまでハマっている作品もそうないだろう。

特に帆高を演じる醍醐虎汰朗の演技には恐れ入った。後述するキャラクターの無茶な勢いに全く劣ること無く、むしろその声で観る側を引っ張っていくような感じさえした。ワクワクした。本気が伝わった。こいつが目の前に現れたら……あるいは公務執行妨害も辞さないかもしれない。

 

 

そう、ストーリーには多少無茶があったようにどうしても感じてしまった。

大前提として新海誠の作品は、リアルを超えるような作画を求める一方、表現の基盤はしっかりとアニメにあることを述べておく。例えば飛び跳ねて喜ぶようなシーンは重力をいくらか無視し、カブはまるで水切りのように水面を飛び跳ねる。

しかし……16歳の少年に銃を持たせることはフィクションとはいえあまりにもセンシティブにならざるを得なく、線路内(しかも復旧作業員が大勢いる)をなかなかの距離誰も止めることなく走り抜けられることに疑問を持たざるを得なかった。変電所を爆破するようなあまりにも想定外な無茶とリアルの欠如が、劇場でフィクションの映画を見ていることをしばしば自覚させられてしまった。少々置いてけぼりを感じてしまったシーンがいくつかあった。とはいえこれらはとても主観的な意見であることは留意してほしい。

 

 

ネガティブな意見を続けると、どうしても気になったのはスポンサーの多さである。もう間違いなく、『君の名は』の歴史的大ヒットにこぎつけて無尽蔵の営業があったのだろう。

劇中登場する商品のほとんど全てがリアルに再現されたパッケージで、なおかつ商品が常に「こっち」を向いていて、極めつけ登場人物たちがまるでCMのように見せてくるのは最低に気持ちが悪い。端的に言って邪魔である。映画とはエンターテイメントとビジネスの一線を画する特殊な存在ではないのか。クソ長い動画広告を見せられに来たのではないのだ。

果たしてこれらのコラボは、リアリティある生活描写の一部として、小道具として本当に必要だったのだろうか?このノイズはSNS世代の若者にウケるとでも思ったのだろうか?(私自身何の変哲も無い若者の一人であるが)

何よりあの求人広告アドトラックの消費的な広告を、このような素晴らしい映画で見かけることは最早残念で仕方なかった。リアルな新宿を忠実に描く上で、必要であったと言われればそれでおしまいなのだが。

 

 

最後にストーリーについて。

この映画には、明確なクライマックスがあったように思える。廃ビルの屋上へようやくの思いでたどり着き、天空にいるであろう陽菜に会いに行くシーンだ。何より感動的で美しいシーンであることの理由として、前後説明のあえての少なさが考えられる。作中序盤から現れる「魚」について、実はあまりこれといった説明は終始ない。最後東京が海と沈んでしまうことについても、自然は元々そういうものだといった程の落とし所である。

このいわゆる想像の余地の幅が絶妙であったと評価したい。身代わりとなって天空に囚われた陽菜にまとわりついていた魚たちといった状況はどういうことなのか?そもそもなぜあの鳥居が空と繋がっていたのか?全ての謎を解決させることはセンスのあることではない。決して多くは語らないスタイルが、最後の最後まで自然的世界を神的なものとしてうまく位置させ続けていた。人間の本能に訴えるような自然の偉大さや尊さを感じた。

 

 

最大のテーマはやはり愛であることは間違いない。今回も素晴らしい主題歌『愛にできることはまだあるかい』が証明の一つだ。

作中では、ちょっとの恩や、自己投影や、大切だと思える人への気持ちから生まれる様々な形の愛があった。特に「ほっとけないから」といったある種隣人愛的な要素が良い味を出している。理由ある行動として最大の説明であり、全体的な物語の進行の上で根本の良い原動力となっている。やはり小栗旬のキャスティングは良かった。

主人公2人のそれについては言うまでもない。終盤、2人が再開し抱き合って回るシーン(これも前述したアニメ的演出だ)が何より幸せそうで印象に残っている。

 

 

 

 

この映画を見た多くの人は、明日から空を見上げる時の気持ちが変わるかもしれない。朝起きて窓を開け、青空と共に一日が始まることに感謝と幸せを覚えるようになるといい。