大広告時代

主に広告について思うことを語ります。その他ネット文化的なことなど。

先入観を植え付ける;diversityへ遣われる広告

世界には色んな人がいます。人は本当に様々で多様です。普通の人なんて実際はいないのでしょう。
LGBT障がい者と呼ばれる人たちは、その定義の正体の一つです。近年の(といっても具体的には何時か分かりません)広告は特にこれに注目しているように見えます。世界ではinclusion(diversityが達成されたとされる状態)への動きは凄まじく、相互理解を深めるための手助けをする広告の力を強く感じます。

では、なぜ広告はそうなったのでしょうか。本来、商品を売る為の広告が。

まず広告が与えるバイアスについて話す必要があるでしょう。
バイアスとは「思い込み」や「偏り」のことを言います。日本でもよく言われているのは男女間のバイアスで、例えば対等な立場であるはずのところで大きな声を出したのが男性だと頼もしく、女性だと気が強いと感じてしまう様な事です。これらのバイアスは文化レベルで根付いているので変えることは容易ではありません。
広告はしばしばこれを逆手に利用する事があります。タイムリーなところだと、テレビをつけてたまたまワールドカップの試合が行われているとコーラを飲みたくなりますよね。マニアックなところだと、バイトを探すならタウンワークです。特にこれは強力で、広告的にはバイト探しは最早タウンワークしかないので、競合他社はかなりの工夫が必要でしょう。
この様に一種のバイアスを利用する広告は多いです。言うなれば広告にはそれほどの大きな力があるということです。

さて話を少し元に戻します。なぜ世間は急にdiversityを認めるようになったかという話です。

1492年、コロンブスアメリカ大陸を発見したと言います。当時はインドと繋がってると思っていたから原住民はインディアン、なんてのは有名な話です。ここで言いたいのはそう、原住民です。発見といいますが、アメリカ大陸もインディアンも昔からそこに居たのです。大きな規模で見た歴史的には、無かったので付け足したというだけで、そこに土地は昔からあったし人も住んでいたのです。
diversityを訴える人たちも同じです。ホモセクシャルの人たちはいつの時代にも必ずいました。現代にして突如として現れたわけでは決してありません。ただ、残念なことにキリスト教はそれを認めませんでした。宗教の善悪、文化についてはもっと詳しい話が必要ですので省略しますが、そのせいで長い間この人たちは存在を黙殺されてきました。ホモセクシャルに限らず色んな人、本当に色んな人たちが同様の理由で多様性を認められて来なかった現実があるのです。
では、やはりなぜ今になってその自由が叫ばれているのか?理由は簡単で、インターネットが普及したからです。とても多くの人が、多くの知らない事実を自ら知ることが出来るようになったからです。

その救われなければならない人権があると”知った”社会は、救うべき責任を負うこととなりました。しかし一旦根付いたバイアスの撤廃は容易ではありません。何百年レベルで社会と個人の意識に埋め込まれているのですから。

ここで社会は広告の力を使うことに決めました。社会と人の意識を変えてきた便利なメディアが実はあったということに気付くわけです。
世界の各ブランドはまるで「私たちはあなたたちの味方だ」と言わんばかりに、その人たちに向けてメッセージを発信します。


#HoldTight


Dot - The first Braille Smartwatch.


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少し商売的な話になりますが、こういったメッセージ性のある広告はブランディングマーケティングを同時にこなしてしまうのです。強い企業の社会に対する強いメッセージは強い味方となり、市場的な強いパートナーを得ることが出来るのです。

一般的な視聴者もまた、これによって自分の身近にその様な人たちがいることに気付くのです。広告はあくまで一方的なメッセージなのでそこからどうするかは個人次第なのですが。