広告は、邪魔
広告は、邪魔。
なぜなら広告はほとんどの場合、見ようとしてないのに無理矢理見させられるからだ。しかもほとんどは自分が能動的に見ている何かの間に勝手にやってくる。
街では最近、大きい広告トレーラーをよく見かける。こいつらはかなり主張が激しく、しかもゆっくり走ってることが多い。見たくもない広告を無理矢理見させられてるいい例だ。もし自分の車に乗っていて、爆音が流れてるタイプに後ろなどつけられたらたまったものではない。
また、広告は機能性をアピールするあまりに本来のデザインを損ねてしまう場合も多い。
いつからか流行りに流行っているダイエット系製品は悲惨なものである。特に飲料系のそれは酷く、トクホの効能を冠するパッケージはあまりにもごちゃごちゃしていてうっとおしい。逆に何が言いたいのか分かりづらい。コカ・コーラ社は広告や消費者体験に対してかなり努力しているが、それでさえあの白いラベルのトクホコーラだけはどうにもならなかったようだ。
これらは何も今に限った話ではない。いつの時代もこの問題を抱えていた。YouTubeでわざわざCMが再生されるような時代の一方で、やはり嫌われ者の側面が大きい。
しかし、広告もいよいよ時代の変化に合わせ大きく変わらなければならない時が来るだろう。
今まではマスの力があまりにも絶大で、更に消費者国家である社会体制も相まって、ある種広告はそれでよかった部分がある。見せたもの、買わせたもの勝ちだったのだ。
しかし現代はインターネット社会で、消費者は市場に対して選択権を持ち始めたことと同じく、広告に対しても選択肢を持てる時代になっている。受動一方であった広告はインタラクティブの時代へ進化しつつある。
そこに付きまとう大きな問題こそ、やはり広告の邪魔者という性格だ。
ここで一つ思い出して頂きたいことがある。スマホのブラウジング広告だ。下からうっすら現れるアレだ。確かに上手い考えだが、我々ユーザーにとっては最高にうざったく、誤ってタップされた回数は計り知れない。一応、これは既に規制されており、Google Chromeではオーバーレイ広告は表示されないようになっている。
つまり言いたいのは、広告の問題はデバイスの進化に付きまとう側面があるということだ。
テレビからPCからスマホへと……。次は一体何が来るか、この議論は今回ここで簡単にすべきことではないが、デバイスは今後より肉体的に近くなると思っている。ホログラフィック技術やMR技術の進化や、ダイバーシティへの対応の流れがあるからだ。
述べた様に、広告はテクノロジーや市場の変換と共に悪く変化してしまう側面がある。Googleの検索広告だって一番最初は無かったのだ。「次のデバイス」でも起こることは間違いないだろう。
YouTubeが開発したバンパー動画という、ある種の妥協点発見の様に、MRやVRの市場においても対策する必要があるだろう。
例えばどんな問題が発生するのか。
新宿のヤマダ電機上の巨大モニターは見たことがあるだろうか。実はスマホの専用アプリがあって、モニターにかざすとシンクロして楽曲が流れたり、懸賞に応募することができるのだ。
これは消費者の完全な能動的行動に依存しているが、もし次世代デバイスがMR色の強いものだったらどうだろう。
答えは簡単で、近くになると何かが勝手に流れ出す。少なくとも初期設定は「オン」のタイプだろう。MRは肉体に限りなく近いのだから、こういった勝手なものに対しての不快感は急激に増すだろう。
こういったように、広告は「邪魔である」という課題を抱え続けることになる。
広告の世界には、例えばスポーツでの審判のような厳しい審判がいない。厳密に存在しないわけでは決してないが、未だに様々な理由でCMが放送禁止になっているような状態である。審判がいないということは、プレーヤー(広告に携わる者達)各々が自覚を持って行動する必要があるということだ。また今後はより一層意識する必要があるということだ。
消費を促す、という本来の役割を忘れてはならないのだ。